元三朝祈願法要
一月一日~三日、朝六時より
ご先祖様に感謝し、新しい年の平穏と皆さまの家内安全、身体健全、世界平和を祈願いたします。宗祖日蓮大聖人は「正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とく(徳)もまさり人にもあいせられ候なり」(正月の元日は、日の始め、月の始め、年の始め、春の始めです。この日を大切にする人は、たとえば月が西から東をさして満ちていくように、日が東から西に渡って照らすように、うち内には人徳を積み、外には人から敬愛されるのです。)と仰せられています。
花祭り(お釈迦様の誕生日)
四月八日
お花祭りとは仏教の祖であるお釈迦様が誕生された日をお祝いする大切な行事です。お釈迦様が誕生された時、龍が天から飛来して、香湯をそそいだという故事に基づくお祝いの行事で、お釈迦様の像に甘茶をかけてお祝いをします。
お施餓鬼法要
八月十六日
お盆の時期にお寺で行われる施餓鬼は、インドに実際にいたお釈迦様の2つのお話に由来しています。
まず第一に弟子の阿難尊者が、お釈迦様の予言から地獄に堕ちるとされました。それを防ぐ為に施餓鬼棚をもうけて、山海の食物をお供えして有縁無縁の精霊に供養し、僧侶に読経していただきました。
次に、同じくお弟子の目連尊者のお母さんが死後、餓鬼道に堕ちて苦しんでいました。それを知った目連尊者は、神通力を使い母に食べ物を与えようと何度も試みましたが、母が食べ物を口にしようとするたびに炎に変わり火傷してしまいます。困った目連尊者はお釈迦様に母を救う方法を尋ね、餓鬼道に堕ちたものに沢山の食べ物をお供えし法華経の修行僧の力をお借りして母を救うことができました。
この二つの説話からお盆の時期のお施餓鬼とは、自分の来世の保証と、救われないで苦しんでいる御先祖様の供養、そしてこの世の生きる全ての者の成仏を願うという、慈悲と愛情に満ちた菩薩の行をする大切な行事です。
御会式法要
十一月十六日
「御会式」とは日蓮大聖人がお亡くなりになられてから、その御命日の前後に弟子、信徒が集まり法要を奉修したのが始まりであり、以来今日まで営まれて来た法要です。「世界の平和」、「皆が成仏する為に」と、命を懸けて法華経を弘められた日蓮大聖人、そして御先祖様に感謝の気持ちを込めて、共に「南無妙法蓮華経」のお題目をお唱えいたしましょう。
大晦日法要・除夜の鐘撞き
十二月三十一日
除夜の鐘とは一年の最後の晩である十二月三十一日に、旧年を送り新年を迎えるためにつ撞く鐘であり、(除夜)とは「旧年を除く」とこから名付けられ、(除夕)ともいいます。除夜の鐘は、私たち凡夫の持つ百八の※煩悩を除去し清浄な新春を迎えるため、その数だけ打ち鳴らすとされています。
※煩悩とは、怒り・欲・嫉妬など様々ですが、佛教ではそれを一つ一つ無くしていく過程が修行であり、その修行により悟ることを目的としております。ご先祖様に今年一年の感謝を申し上げ、また新しい年の平穏と皆さまの家内安全、身体健全、世界平和を祈願いたしまして、共に「本門八品上行所伝」の御題目(南無妙法蓮華経)をお唱えいたしましょう。
お経セラピー(お経会)
毎月第三日曜日 午後三時より
「お経の意味って?」「お経を読んでみたいけど恥ずかしい」「ご先祖様、大切な人にお経を読んであげたい」「お寺に行って気持ちを落ち着かせたい」等などお考えの方。
一般の家で生まれ育ち、仏教に興味がなかった私が縁あって僧侶になり、正しい考え方、生き方等を教えてくださった仏教に心から感謝しています。僧侶になるまで私が持っていたお寺のイメージは、「特に興味もなく、敷居が高く行きづらい」といった感じでした。
そんな私が今日までの修行で感じた仏教・お経の素晴らしさ、お経の意味などを一人でも多くの方に知って、感じて頂きたくこの会を開催することになりました。もっとお寺が皆さんの近くの存在であれますように。皆様が幸せな日々を過ごせますように。そんな願いを込めて・・・・・
皆様のご来寺を心よりお待ちしています。